2017年11月5日日曜日

HIROSHIMA-NAGASAKI herdenking in Leuven

Act For Japan.beは、ルーバンのRia Verjauwさんから、8月9日に開かれた広島、
長崎の原爆投下の記念平和のセレモニーに招待されました。
当日、メンバー達と共に参加しました。
開催者は小さなグループですが、様々な核に反対する活動もしています。

http://www.bandepleteduranium.org/en/index.html

朝、電車でルーバンに着くと、駅前に小さなドームを建てているところでした。
ドームの中には、原爆に関する資料写真が貼られました。


 

ドームの隣で、小さく輪になったわたしたちは、それぞれスピーチをしました。中には、ルーバンの政治家や大学の先生もいました。
オランダ語のスピーチは、わたしたちには少し難しかったのですが、最後に、ヒバクシャの方が書いた本の朗読がありました。とても臨場感がありました。
地元のラジオが取材に来ていて、このセレモニーのことは後々報道されたようです。

今年、8月7日に国連本部で核兵器禁止条約が採決、成立しました。成立したとは行っても、それが実際に核保有国にたいして効力があるわけではありません。
それでも、被爆者の方達にとっては、大きな一歩と感じられている事でしょう。
残念なのは、唯一の被爆国である日本も署名をしなかったことです。個人的には、とてもはずかしい思いを抱きました。
ベルギーもNATOの傘下にある国であり、署名しませんでした。
スピーチの中でも話されていましたが、抑止力の名の下に、核兵器を保有し続けることにたいして、わたしたちは、Noと言い続けなければなりません。
日本人として、このような場に招待されたということで、大きな責任も感じました。 





最後に、わたしが書いたスピーチ の文章を載せておきます。


Thank you for inviting us to this event. I am so glad to join you today as a Japanese person.
Our NPO, Act for Japan.be started in 2011, after the Tohoku earthquake disaster in Japan, to help inhabitants in the Tohoku area. Since then, we have organised events each year around 11 March. In particular, each year we show a documentary movie about the Fukushima nuclear power plant accident. Still now, we keep our motivation to do something for Japan even more. Today, I want to talk about my personal experience and something that I have noticed.

Almost 10 years ago, when I was already living in Brussels, I went to a concert given by some Belgian musicians. I saw a video projection behind the musicians on the stage. I was told that a video artist had made it. In the projection, a lot of images of an exploding atomic bomb were shown one after another, repeated again and again. I recognized the shadow of the American combat plane that was flying over the city of Hiroshima.  I felt bad. The explosion in the video was too intense.
And I was so sensitive about this kind of vision that was happened in my country.
I told about my feeling to my friend, but he didn’t understand what I was talking about.
That time I felt a big distance with people there.
I thought about this experience for a while.
Finally, I came to a conclusion myself. In the video, the explosions were used simply to excite the audience. The victims who burned under the explosion did not exist.
Nobody thought of the people under the flames, except me. The heart of the problem of the Atomic Bomb was really far from that audience. I think the mushroom cloud became a symbol of big power. It makes people miss the reality. Of course, that video artist has his freedom of expression. I just want to say that he also can use his imagination to see how it was under the fire. If he had known the victims before making the video, would he have made it?
We need imagination about the reality behind symbols, and we also need to have sympathy with other people, even in places which are very far away.
The things that happened in Hiroshima and Nagasaki are not only in the past. 
It is not another’s problem. It can happen to everyone. So we should not treat the names of Hiroshima and Nagasaki only as symbols.
I appreciate the Belgian people for holding a commemoration ceremony like today’s.
I think more Japanese people should know about it.
Japan did not vote in favour of the Treaty on the Non-proliferation of Nuclear Weapons, although it was the only country that was attacked by Atomic bombs.
Japan needs open eyes and to have an imagination itself.
I believe that our collaboration across borders will help to improve the future.
I think this is the only thing we can do for now.  Thank you for listening.
 











「我々に何の法的義務を負わせることもできない」とし、「核抑止の政策と整合性がない」








2017年8月11日金曜日

フランスのショー原発

引き続き、ベルギーとフランスの国境にある、ショー原発に行ってきました。

 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

ショーは、フランスの原発です。ムーズ川がUターンするようにぐにゃりと曲がって、中州の様になったところに建っています。
国境は、その部分が、盲腸のような形でベルギー側に入り込んでいます。
車で行くと、道路が突然フランスになり、突然ベルギーに戻ります。
ベルギー人の友人が、この原発の20キロ圏内に家を持っていて、以前からヨウ素剤が配られていると聞きました。
(ベルギーはティアンジュ原発の老朽化を受けて、今年、国民全員にヨウ素剤が配られることになりましたが、そこまでするならいっそ止めて欲しいですね。)
そこの原発で事故が起こった場合、ベルギーにもフランスと同じように状況が伝えられるのでしょうか。その辺は、はなはだ疑問が残るところです。
 国境というのは、そこで暮らしている人にとっては、お隣さんが、全く違う制度の中で生活しているということになります。フランスはベルギー国民の健康のことも考えてくれるんでしょうか?


ここアルデンヌ地方は、平たいベルギーにおいて、小高い丘や岩山がある地域で、美しい景観を見せています。
ベルギーの国境の小さな村々では、ナポレオンの軍がワーテルローの戦いに赴く時に通ったということで、毎年お祭りを催していると聞きました。
そして、この地方は、第2次世界大戦で激戦地になったところでもあります。
ドイツのタイガー戦車が深い森に入り込みました。今でも、戦車が置き去りにされているのを見かけることがあります。
このショーという村では、ドイツ軍がムーズ川超えてフランスに進撃した場所だそうです。 

原発は、いつも人口の少ない、美しい場所に建設されるのですね。そして、フランスにおいては、いつも国境沿いに建てられています。
ヨーロッパは小さな国の集まりですから、原発に関して言えば、チェルノブイリの時のように、何処かで事故があったとしたら、ひとつの事故が、ヨーロッパ全体の汚染になる可能性があります。しかし他国の原発のコントロールはできないとい うのが現状です。

さて、ショー原発ですが、ガイガーカウンターを車の外にぶら下げて、空間線量を測りながら走行してみました。
原発の煙突が見えて来て、周辺の街に入ったあたりから少しずつ数値が上がり、0,2マイクとシーベルト近くまで上がる場所もありました。ところが、原発敷地内に入り、ビジター用施設の中に入ると、数値は下がり、ブリュッセルの自宅の中より低くなっていました。
つまり放射性の物質は、煙突から近辺にばらまかれていて、当の原発自体は清潔に保たれているということでしょう。

中に入ると、とても賑やかで驚きました。
新しいシステムを導入するにあたり、業者を呼んでティーパーティーをやっている最中だということで、大勢の人達が談笑し、コーヒーとカラフルなクリームで飾り付けされたカップケーキが大量にテーブルの上に並んでいました。
外がとても静かだったこともあって、そのコントラストにびっくりしました。

パーティーの間を縫って、ビジターに向けた説明を読んで歩きました。
そこでわかったのは、今は廃炉になっている第1レアクターは、地下に作られたということ。当初は、フランスとベルギーの合弁会社によって建設されたということです。
ですから、ベルギー側も、この原発からの電気を使ってたということでしょう。
ウィキペディアにもあるように、80年から周辺住民の反対運動が起こっています。
現在、どれだけの人達が、この原発のことを気にしているかは、はなはだ疑問です。
原発から25キロほど離れた村に住む友人のおばさんは「時々煙が見えるわよ。」と吞気に言っていましたし、誰も原発の話はしていませんでした。
20キロ圏内に住む友人も、ヨウ素剤以外の話は特にしませんでした。
すぐ近くの街に住む人の話も、機会があれば聞いてみたいと思っています。



 
ティアンジュ原発周辺に住む人達を取材した日本人の友人がいます。
彼女はベルギー在住30年ですが、今まで見た中で、一番、社会的に底辺の人達が住んでいたと語りました。 わたしにはうまく想像できませんが、教育もなく、貧しく、気持ちの上でも原発のことを考える余裕もなく、ということなのでしょうか。
彼らは、わざわざ、そんなところに住む事を余儀なくされているという印象が拭えません。

現在、ショー原発ではニュートリノ振動実験も行われており、日本も係っています。
私自身は、この実験のことを、よく理解してるとはいいがたいですが、イタリアで最近おこった大きな地震は実験場のすぐ近くだった、とういのは気になるところです。
関連性があるということは特にいわれていませんが、まだまだ新しい学問ですし、原発も含めて心配事がひとつ増えた感じです。

大統領選のあと、新たにフランスの環境省が、2025年までに 原発を無くして行く方針を掲げました。わたしは明るいニュースとして受け取りましたが、国民に対するガス抜き効果を狙ったもので現実性が薄い、と評価する声も聞きます。
ベルギーも福島の事故後、2025年までに原発の全廃を目標に掲げましたが、どうなるかは未知数です。
事故後の日本の対応を見ても、原発の全廃の実現が、いかに遠いかというのは明らかです。
発展中の国々の新たな原子力政策をどうしていくのかという問題もあります。
国境を超えた枠組み作り、連帯が重要な鍵を握っているのかもしれません。
















ヒューマンチェーンレポート


 

6月25日、ベルギーのティアンジュとドゥールにある老朽化した原発を停止を求めるデモ、「ヒューマンチェーン」に参加しました。

1970年代に建設された、これらの古い原発は、安全性が心配されています。
ベルギー政府は、日本の原発事故以降、40年を超える原発は段階的に停止していくと決めたにもかかわらず、ティアンジュ原発の10年延長を決めました。
隣国の国境に近い原発でもあることから、今回のヒューマンチェーンは、ベルギー 、オランダ、ドイツの国境を越えて、人々が手が繋ぐという大きな計画です。
人間の鎖はティアンジュから始まり、リエージュ、マーストリヒト、アーヘンまで、90キロの距離を、最終的に5万もの人々が参加するデモとなりました。


こひつじ1号、2号は、「さよなら原発ディュセルドルフ」の日本の方々と合流するため、リエージュ郊外のムーズ川沿いに陣取りました。
回りは、ドイツから来た人たちばかり。
デュッセルドルフ組のバスは、リエージュの街中で全員おろされてしまったということで、結局、合流することはできませんでした。

ムーズ川は、フランス北部に水源があり、ベルギーを通ってオランダで北海に流れ込んでいる大きな川です。この川と運河のおかげで、リエージュ周辺の地域は産業革命のころに大きく発展した地域です。今でも、たくさんの船が行き来しています。


私たちは、のんびりと川沿いでピクニックをして、のんびりと手を繋いで、「つながったぞー」というニュースが波のように伝わってきたところで、解散となりました。
そのあとは、カフェでのんびりとビールを飲んで、ブリュッセルに帰って来ました。
 街中では、ファンファーレなども出て、ずいぶんと賑やかだったようです。
天気も良く、いい一日でした。

ベルギー政府がどのような対応をするか解りませんが、5万人参加というのは大きな成果だったのではないでしょうか。デモに参加する事で、ヨーロッパの原発事情も少し解ってきたような気がします。












2017年5月6日土曜日

AもBも選ばないという選択の人々

フランス大統領選の真っただ中の5月初旬。 隣国ベルギーでも話題にならない日はないぐらい、メディアやネットで議論が白熱している。
決選投票は明日。極右政党・反EU、反グローバリズム、人種差別政党である「国民戦線(FN)」のマリーヌ・ルペンと、親EU派で新自由主義者、金融業界出身のマクロン前経済相の決選投票だ。

第一回投票結果を耳にしたベルギー、フランスの友人たちは、希望のない結果だと口々に言っていた。世論調査の通りの結果であったが、友人たちは左派のメランションに投票した人や支持をしていた人が多かったため、やはり運動は功を成さなかったと嘆いていた。

そしてあと数日に迫った決選投票。極右のルペンを阻止するため、マクロンに投票しようという趣旨の記事がネットで流れてくるたびに、「AもBも選びたくない。」という気持ちが増した。
もちろん私は投票する権利などないのだが、「選びたくない」を選ぶ権利もあるのではないかな、と。選びたくない候補を消去法で選択する大統領選挙の喪失感を。フランスの友人たちから聞いていたということもある。

大手の新聞やネットメディアでは、「棄権や白票は意味をなさない。マクロンに一票を」と綴る文章であふれ、某パンクロック歌手は「白票や棄権を行使する意味がわからない。どちらを選択するか悩むというのも理解できない。とにかくルペンを阻止することだけを考え、マクロンに投票を。」とまくし立てていた。

そういう主張も理解できるし、そうかもしれないとも思う。

反ユダヤ主義や歴史修正主義者を幹部にもった国民戦線の党首であるマリーヌ・ ルペンが大統領になってしまったら、移民、人種の差別化が進んでしまう。差別はまた別の差別を生み出し連鎖していく。

しかし、マクロンはどうだろう。
2015年2月、国民議会は経済成長・経済活動振興に関する法案(マクロン法)を表決せずに可決した。新自由主義的な労働規制緩和法案である。また、2013年に施行された「富裕税」は、マクロンに批判されたことで2年後に廃止となった。
右も左もないと謳った彼は新自由主義者。国営企業の民営化を進める人物だ。
格差は拡大され、資本家による富の搾取は続きそうである。


「経済格差が拡大していき、グローバル化が続くと、不況の深刻化、政治の不安定化、文化的疎外により、民族的、思想的、宗教的な過激主義が育成され、過激主義主義にしばしば伴う暴力も助長される。」『覇権か、生存か』p300


「経済危機が厳しくなり、それが大衆クラスにまで波及するにつれ、貧しい労働者は不正受給者と、フランス人は移民と、「白人」は「イスラム教徒」と対立を深めることになった。経済危機によって恩恵を受けている人々は、このような衝突に注意を差し向け、「ポピュリズム」を非難し、支配し続けるしかない。」フランス社会を絡めとる国民戦線





やはりどちらにも投票したくない人の気持ちがよくわかる。
極右を阻止するために、自分の一票を資本家の利益となる政策ばかり進める新自由主義者の候補に投じたくないし、富裕層が高みの見物的にポピュリズムを非難するのと同じように、国民戦線に敵対する政党、それが欺瞞だらけであっても目をつぶり、そこに投票したくない、と思うのだ。


SNSやネットメディアの、「マクロンに投票するべき するべき するべき!」というものは、意思の押し付けだ。「●●に投票しろ、しなければ・・・・」という言論は、暴力的であると思う。
 だれに投票するかを決める、棄権や白票でさえも、決定権は自分自身にあるのにな、と、最近の喧騒を受けて思った。










2017年3月18日土曜日

加藤周一さんの本から



こひつじ1号です。

やっと読み終えた加藤周一さんの著書、「日本文化における時間と空間」の中に、わたしがずっと持っていた疑問の答えが書いてあったような気がして、ここにメモしておきたいと思います。
加藤さんの過去の著書を調べていたら、奇しくも、 「羊の歌」というエッセーがあり、このブログのテーマともつながっている事を知りました。
ご本人が未年(ひつじ年)ということで付けたタイトルだそうですが、群れる羊からひとり抜け出した孤高の羊を感じさせます。

さて日本における時間の話ですが、加藤さんの本の中には、日本人が「今」という時間を常に生きているのだということが書かれています。
わたしたちにとって、時間の流れというのは捉えがたく、捉えるのは「今」だけですから、それぞれの「今」が時間軸における現実の中心となります。日本においては、それが顕著に現れています。
江戸時代にはわさびが流行し、一瞬で終わる刺激に人気があったと言われています。歌舞伎の「みえ」や、能のもつ「間」なども、瞬間の感覚的経験への集中していく傾向を表しています。
他方で、「今」とは瞬間だけではなく、近い過去と未来を含み、変化の起こらぬひと時代を「今」ということができます。日本は、遠い過去から変わらぬ形式の「神道」があり、それはそのまま現在の世界に組見込まれています。
そこでは、個人の人生の有限性は、所属集団の持続性に吸収され、集団の持続性は過去を現在化するとともに、未来をも現在化しています。

かつて、フランスの新聞「Le Monde」の記者であったRobert Grillainが、彼の著書の中で、日本をインスタント主義、振り子のように動く民族、と書いているそうです。
これは、日本が小国であり、現在の環境に注意を集中し、大勢の変化に鋭く反応することを求められる立場だったということが大きかったと言えるでしょう。
しかし、日本のインスタント主義、そして大勢順応主義とは、現在の大勢に従うことが良い事であり、悪しき物は過去に追いやり、現在と関係ない物には責任をとらないという国民性を浮き彫りにしています。
 明治政府の指導者たちが、「尊王攘夷」を旗印に行った倒幕後、すぐに「開国」し「欧化」政策をとったのも、権力掌握前後で状況が変わったからです。
つまり「攘夷」は彼らにとって内面化された原理ではありませんでした。外面的なイデオロギーは道具として使われました。しかし、それは自覚されていたとは限りません。
彼らは、ある状況下では「攘夷」を信じていたのであり、次には「文明開化」を信じることになったのです。これは、変化の状況への適応を束縛しない形でイデオロギーと係わっているためで、行動に原則の一貫性はありません。
すなわち、現在に生き、過去は無視して現在にのみ係わり、未来は現在の延長と考えていたことを表しています。
思想、イデオロギーを道具として使う傾向は、現在中心主義のひとつの表現と解釈することができます。明治政府の中にも、天皇の神性を主張するものも少なくなかったのですが、最終的には、統一の中心をつくるために強化された天皇制だったことは明らかでしょう。

空間に関しての話になりますと、日本の家屋には奥があり、外に対して閉じているということから始まります。移住空間が閉じれば表現の空間も閉じることになります。
そこには、かならず閉塞感というのものがあります。
江戸時代の鎖国の時期には、中の環境を変える事は難しいので、自分が変わる他はないという現実がありました。そこで、中国から来た禅は、内的変化を促すためのトレーニングとして日本で実用化されました。心の外で起こる事は、全て決められた時空間の中で起こりますが、心の内側で起こる想念は、時空間の束縛を受けません。
宗教的な神を介せず、それを実践するのが「禅の悟り」です。日本における禅は「今即永遠」「ここ即世界」の普遍的な工夫をするために必要なものでした。
外界で起こる事は制御不能であり、個人の内界(心、意識、感情と精神) とは関係なく起こります。外界の変化にどう反応するかは、自らの心の決定に寄る事が大きくなります。
日本の場合、外界と内界の直接に係わる所、身体的感覚的領域、すなわち身体が直接触る部分、外界細部の表現の徹底的な洗練に向かったと思われます。
日本人の、自己の内にある感情や意志の表現へ向かう傾向「主観主義」こそは、日本文化が含む根本的な原理のひとつであり、芸術家の視線を外でなく内に向かわせる傾向は、徳川時代から21世紀に流れのなかに、しっかりと残っています。


これは、わたしが気になる部分を書き出して要約したものです。不備な部分があったらご指摘ください。
この本を、今の日本の状況を考えながら読んでみて、納得することがたくさんありました。日本人の、細部へのこだわりは内部への求心性から来ていることは明らかです。
また誰も責任を取らない体質や、議論する前に感情的になってしまう傾向も。
日本では、今まで亡命した知識人はほとんどいないそうです。これは、閉塞感からの脱出の方向が、内側に向かっていることが理由かもしれません。日本人は、外にユートピアを夢見るということがほとんどないのです。それについても、もう少し深く考えてみたいと思います。
現実的にはのんびりもしていられないのですが、日本人が自分自身を知る事で見えてくるものもあるような気がします。
間違えた過去を現在に引っ張り込まないように、私たちは考え、行動する必要があるのかもしれません。




加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士。 鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。 1943年東京大学医学部卒。世界的な視野から日本の文学・思想・美術の歴史を論じ、世界中の大学で教鞭を揮った。文学芸術から国際情勢まで鋭敏にして繊細な言論活動を展開。2008年12月5日逝去。

「日本文化における時間と空間」2007年 岩波書店








2017年2月24日金曜日

アーヘンレポート。おしどりマコさん講演会




2017年2月18日、まきばのこひつじ1号、2号は、おしどりマコさんの講演会を聞くためにアーヘンに行ってきました。
アーヘンは、ブリュッセルから車で1時間半ほどのドイツ側に位置します。神聖ローマ帝国カール5世が戴冠した有名なカテドラルがあるきれいな街です。
そしてベルギーのティアンジュ原発から60キロの街でもあります。1968年に運転を開始をされた古いティアンジュ原発は、今まで様々な問題を起こしています。最近の稼働延長を受けて、オランダ、ドイツからも停止するように訴えています。アーヘンの市民も大きな危機感を持っているように見えました。
今年6月には、ティアンジュ原発停止を求めて、アーヘン→マーストリヒト→リエージュ→ティアンジュを繋ぐヒューマンチェーンが企画されています。


おしどりマコさんの講演会は、アーヘンの反原発グループとデュッセルドルフの日本人グループ「さよなら原発デュッセルドルフ」の共同イベントとして開催されました。
会場となった教会の施設は広くて明るく、無料で借りることが出来るのだそうです。
たくさん人が来るかしら、と心配していると、講演直前には地元の人達でいっぱいになりました。


マコさんのお話は、福島周辺の汚染状況を丁寧に説明するところから始まりました。
今まで日本で発表されているものの他に、今回マコさんたちが訪れたドイツのブラウンシュバック物理研究所(PTB)で観測されたデータも示されました。
PTBでは、常に大気中の放射線濃度を測っています。そこでマコさんは、福島原発事故の10日後に放射能が世界を回ったことを知ったそうです。
現在まで、日本で公表されている事故で排出された放射能各種はヨウ素131だけです。
グラフには、事故によって放出されたセシウム137がはっきりと見てとれます。


除染実施地域の地図の説明をしている時に、会場から「白い部分は汚染されていないのか?」という質問がありました。
マコさんの答えでは、地図の色付けされている地域は自治体の判断で除染したところであって、白い部分は除染をしていない地域だということです。いくつかの自治体では、汚染があったとしても、観光地であるという理由で除染をしないと決断したのです。


 福島県民の健康被害に関してのお話では、マコさんが県民にインタビューをしている中で、子供だけでなく大人達にも甲状腺ガンになる人が増えているように感じるそうです。
チェルノブイリの原発事故以降、唯一、子供の甲状腺ガンだけが、事故との因果関係が認められていることから、福島の場合でも、子供の甲状腺ガンに関する調査は盛んにされていますが、大人に関しては全くされていません。
大人の甲状腺がんは、事故後、何も知らされてない農家の人たちが山の水を飲んだり、自家栽培の野菜を食べたりしていたことが原因になってると思われます。
他のタイプの健康被害も、外で働いている農業や配達の仕事をしている人達に顕著に現れているということです。野菜にも様々な異変が起こっています。写真は、根が5カ所から出ているタマネギです。


現在、福島のほとんどの地域が避難解除を行う中、帰還希望者への説明会が行われています。川俣町の説明会では、農家の人達の質問に対して、とんでもない答えが返って来ています。「除染していない場所を通るときは、息を止めて早足で通り過ぎるように」、また「汚染された土ぼこりを吸い込んだ場合は、鼻を擤めばよい」 というようなものです。
配られているパンフレットも、まじめに作ってるとは考え難いようなものです。
マコさんは、先祖代々耕して来た土地を捨てたくない農家の人達の気持ちが、帰還を促す側に利用されているように感じているそうです。
故郷に帰りたい人達は、放射能と共存する事を自発的に選択せざるをえないのです。 


 福島の人たちに寄り添った取材により、マコさんは、多くの真実を私たちに伝えてくれています。現在、国会で審議されている共謀罪のようなものに、マコさんの活動が脅かされることのないよう祈っています。
それほど、わたしたちの社会はギリギリのところにいるように感じています。
世界が大きく変化する中、何が事実なのかを見極めるソースを持つことが大切です。
マコさんは、そのソースを提供できる貴重な人のうちのひとりなのだと痛感しました。



最後に、おしどりの漫才もありました。ケンさんが針金で作品を作り、マコさんがアコーディオンを演奏。二人の楽しい掛け合いに、会場は笑顔に包まれました。とても楽しかった。ポジティブなパワーをたくさんもらいました。
厳しい現実を受け入れつつも笑顔を絶やさない、お二人の芯の強さを垣間見た講演会でした。会場の皆さんも同じような思いだったのではないでしょうか。





マコちゃんケンちゃん、本当にありがとう。