2018年4月15日日曜日

ドキュメンタリー映画『ニッポン国vs泉南石綿村』

映画の中で原告がどんどん死んでいく。

弱っていく原告たちの絶望した姿と、立ち上がった人たちの怒りとやさしさと強さとナイーブさ 。

酸素チューブを鼻に通している姿は絵になるよ、と新聞に載ったのを笑い合う岡田さん。
岡田さんは石綿工場で働く母に連れられて育ったため、若くして健康被害が出てしまった。そのため、訴訟の対象外になってしまっている。
お風呂で湯気を吸いこむと咳き込むため、入浴も大変な西村さんは、原監督に入浴場面を撮影していいよ、と提案したという。「苦しんでいる様子を撮っていいよ」と。
 物静かな薮内さんは子どものころから石綿工場で働き続け、一人で亡くなった。
 原監督に違和感を持ち、カメラの前で嫌味を言う山田さん。それを画面に収める 原監督の思い。
 「泉南地区の石綿被害と市民の会」を結成した柚岡さん。原告団の代表を務める大黒柱。
怒りが収まらず、直接行動を幾度となく繰り返す。
ある時「健白書」という直訴状を直接、総理官邸に持っていこうとする。それを止める弁護団、気持ちはわかるけど正当な行動で闘いたい弁護団との怒鳴り合いの喧嘩。
怒りが収まらない原告たちと、横柄な態度の官僚。

最高裁で勝訴し塩崎厚労相が謝罪すると、怒りが消えたという佐藤さん。名刺を手渡されて「東京に来ることがあったら声をかけてください。」という塩崎厚労相(当時)に会ったことで、今まで痛みつけられてきたことよりも、その一言で怒りの感情が消えた、という人間の意志のあいまいさを見せつけられる。人の感情の揺らぎ。

最高裁判決を泣いて喜ぶ弁護団を横目に、柚岡さんはひとり、納得ができない。
昭和33年5月~46年4月の間に石綿を使用する工場で働き、中皮腫などの石綿関連疾患を発症した元労働者やその遺族に対する国の賠償責任が確定したが、13年間のみに限られたことや、近隣住民はそもそも訴訟の対象外であったのだ。

国は人を救済しない。形だけ、体裁だけ。 人の弱さにつけ込む国の醜悪さ、そんな姿を見せつけられた。

そして8年間に及ぶ訴訟の間、仲間と励まし合い怒りを継続させていく市井の人の強さ。

原監督が向けたカメラに映る原告たちが8年の間に監督を受け入れていくような表情や行動が胸をついた。ドキュメンタリーのおもしろさであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

夢の鉱物といわれ、車、建築、多くの工業製品に使用されてきたアスベスト(石綿)。
長期間吸い込んでいると、長い潜伏期間(20年から30年)を経て、肺線維症、肺がん、悪性中皮腫を発症する。国は70年前から調査を行い、健康被害を把握していたにもかかわらず、経済発展を優先し規制や対策を怠った。その結果、原告の多くは肺を患い、発症を恐れながら暮らしていた。
大阪泉南地区の石綿工場が密集していた地区「石綿村」の 元労働者や労働者家族、近隣住民が起こした8年間に及ぶ国家賠償請求訴訟のゆくえを追ったドキュメンタリー。